梅雨寒や地下食堂のカレーそば 括弧
近頃は「飯でも食おう」というような言い方が、社交上必須の挨拶となっているようだが、私などにとって、この言葉にはその表面上の意味以外の意味はなかった。若い頃は勤め先で、昼時に「飯を食いに行こう」という意味の言葉がほぼ毎日交わされていたことは事実だ。しかし転勤があったり時代が変わったりで、楽しく昼飯を共にするという感覚は次第に薄れた。、弁当
持参という時期も長かった。時代が進むに連れて、昼飯のために外出する余裕がなくなってきたともいえる。客商売でもなかったから、お客さんと会食しながらの商談などということは皆無だった。とはいえ、夜は「食事」というよりも「一杯」という言い方で、連れ立って会食していたことはしていた。それもしばしば・・・。
さて、街でひとりで昼食を喰うなどということになると、どんなところを選んだらよいのかに迷う。一番趣味に合うのは駅の立ち食い蕎麦である。高校時代以来ずっとあの手の店のおつゆの匂いに誘惑され続けていた。近頃は大きな駅では構内のコンコースが充実して、立派な仕切りのある独立した店という感じになってしまったので、立ち食い蕎麦店にも戸を開けて入らなければならない。入るのに一種の勇気を要するようになった分だけ使いにくくなった。大宮駅の薄暗いホームで、丼を抱えて立ち食いしていた頃の、肌を刺す北風の寒かったことなど、今でははるかな過去の思い出となってしまった。
地下食堂といえばまず上野駅の構内が目に浮かぶ。「戦後」というイメージを残しつつ都会化してきた上野も、年々洗練されてきて、学生時代に薄汚れた重い引き戸を開けて入った食堂のおもかげなどもはやない。地下食堂は、狭いスペースを思いっきり有効活用するために、食い終わればすぐにも出て行ってくれといわんばかりの構造になっていた。いまでもそれに変わりはないが、見た目にはだいぶスマートになった。讃岐うどんなどというあっさり系が主体のうどん屋になっているものもある。大宮駅に駅ビルらしいものがなかった頃に、駅がどういう姿をしていたか思い出すこともできないが、ホームの立ち食い蕎麦でなければ、外へ出て街の適当な店を探すのに苦労した思い出があるから、同じ地下でも、ビルの地下などの食堂を使ったもののようである。
昼飯についての意識は、基本的には今でも変わらないと思う。まずは立ち食い、次に地下食堂(あるいは地下食堂的雰囲気を湛えた食堂)である。立ち食いなら天麩羅蕎麦と決めてある。地下食堂ならカレー蕎麦が有力だ。ドンブリものはほぼ食わないといってもよい。近頃熊谷のサティーへ映画を見に行くことがよくある。地下食堂はないので、幾分高級なイメージはあるが、一階の蕎麦屋さんに必ず寄ることになった。頼むのは必ず鰊そばである。数年前京都で食べた時にうまかったので、一度ここでも試してみて
以来病みつきになった。
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