2009年7月 6日 (月)

花南瓜

  畑隅に初咲きの花南瓜かな  括弧

スーパーで半分に切ってラップにくるんで売っている南瓜は、どういう04621畑で作っているのだろうか。わが散策路は、どこも南瓜の出荷地ではなさそうだ。南瓜がないわけではない。農家の近くの畑に、きちんと藁を敷いて何本かを這わせている、といった栽培も見られないことはない。だが、時々思い出したように存在する南瓜の多くは、1本か2本が畑の隅に生えてきたものを放置しているだけ、というようにも見られるのである。間引きぐらいはしたのかもしれないが・・・。出来た実は利用するけれど、手をかけて世話までする気はないといった感じの対応に思える。本当は違うのかもしれないが、結構な面積を占めながらもほんの1・2本が勝手に地を張っているだけのようにも思えて仕方がないのである。

考えてみれば南瓜は丈夫な植物である。戦後の食糧難時代には、どこの家でも庭先で南瓜の栽培をしていた。実際数本が自由に這いまわるだけの土地があれば、シーズン中1族が南瓜には困らないくらいの収穫があったので、庭が狭ければ縁先に棚を作って、へちまならぬ南瓜を這わせたものである。花が虫に食われていた跡などは思い出すことができるが、害虫駆除にことに骨が折れたような記憶もないし、道に落ちている馬糞を塵取りでとってきて根元においてやる程度で肥料は足りていたようだ。その当時のもは実が大きかった。今でも大きさを争う コンテストがあるくらいだから、元来そういう素質はあるのだろうが、現在スーパーで切り分けられて売られている南瓜は、想像するにせいぜい直径15センチくらいなものだ。

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2009年7月 5日 (日)

昼顔

  刈られたる草の中には昼顔も  括弧

そろそろピーク04606を超えたが、植え木の刈り込みと草刈りが盛んである。躑躅類などの場合、刈りこみの時期が遅れると、来年の花芽がつかなくなる。紫陽花はまだ花季だろうと思うが、これも遅く出た芽には花が咲かないそうだから、遅くとも土用には芽が吹いていなくてはならないのである。

雑草の方は花を咲かせるために刈るわけではない。年に何度か刈らないでおくと、たちまち強い種が人間の背丈ほどにも伸びてしまうからであって、それを防ぐためといった方が本当だろう。飼料に利用するということはわが里ではほぼなさそうである。(ガソリンにでもならないだろうか。)このような除草作業では、シルバー人材センターの方々が活躍されているようだ。

昼顔は強い植物だ。空地や駐車場などの垣根に絡んで見事に咲いているかと思えば、放置された畑にもたちまち出現する。道端の草の中でももちろん生き続けて、ちゃんと小ぶりの花をつける。立派な雑草の一員なのである。きれいな花ではあるが、庭にわざわざ植えようとする人はいないだろう。それでも隙を見てはあらゆるところに出現する。雑草の一員として草刈機でなぎ倒されても、痛くも痒くもないのか、根元を刈られて萎れてしまった花の隣には、刈りのこされた茎からの 次の花が、既に開きかけているのであった。

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2009年7月 4日 (土)

絵日傘

  絵日傘やあぶくの浮かぶにはたづみ  括弧

絵日傘をImg_1427持ち歩く女性は増えているのだろうか、減っているのだろうか。私の様な、田舎を歩き回る生活を主としているものの眼から見れば、屋外をウオーキングしている男女は、この10年間だけででも、非常に増えた。社交上の外出ではないから、そういう人たちの服装はカジュアルである。必ず日よけのための帽子をかぶっている。そういう時に傘を持っていては歩きにくいから、持っていない・・・・というのが、今時の熟年女性の歩くスタイルなのではないだろうか。街を歩いている女性の場合でも、日傘を持つ人の率は最近とみに減ったように思われる。光の画家であったモネは『パラソルをさす女』などいくつか日傘の光学的効果を利用した絵を描いている。日傘は、女性にとって明らかにファッションの一部であるはずで、紫外線除けだけがその効能なのではないと思う。近年、絵日傘と並んで白日傘がよく用いられてきたが、ごく最近になって、黒日傘が数で圧倒しだした。光を反射してくれる白よりは、紫外線をも含めて光を吸収してくれる黒の方が有効だという考え方になったようだ。

このような時代背景があるから、絵日傘を差している女性が現れれば、「オッ」と思うわけだ。場所は数十年前に突如工業団地というものになったあたりで、農村と工場群の間を隔てている、お世辞にも手入れがよいとは言えない細い道の上である。左には畑と何軒かの農家、右には操業中の工場群。用水路は汚れているようだ。そういう匂いが漂っているからだ 。一時はもっとひどかったのでは ないかと想像できる。日本中どこででも見られる経緯をこの場所もたどってきたに違いないからだ。

ところで、_sp0000

Sさんが郭公を撮られた。ご自宅近くで、普通のデジカメを用いて撮られた由。先日の「時鳥」の記事と合わせてご覧ください。よく似た親戚同士です。

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2009年7月 3日 (金)

サルビア

  サルビアの咲く庭門扉閉ざされて  括弧

サルビアというもの、09618昔からどこにでもよくあったように思う。最近はブルーサルビアなどいうものがあって、「オヤ」と思いだしたのが何年前のことだったか。植物に興味を持ちだした頃だろう。その後チェリーセージに始まって、数々のハーブと称するサルビア属の植物に出会った。知れば知るほど 園芸品種の無尽蔵さにほとほと困惑した。あの大型のメキシカンブッシュセージまでがそうなのであった。困惑したのは種類を片っ端から覚えようと思っていたからだ。今ではそのような野心は全く失くしてしまったから、心穏やかなものである。

個人的な好みを言えば、サルビア属のうちでも、やはりまっすぐ立ちあがって真紅の花を一斉につける、あの元来の「サルビア」がよい。あの色をほかの植物に求めることはできないのではないだろうか。「真紅」とはいえ、全く厭味のない色なのである。そして底抜けに明るい色彩だと思うが、一般にはどのように受け取られているのだろうか。

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2009年7月 2日 (木)

蛇苺

  転びかけ気づく静かさ蛇苺  括弧

「静かさ」と、言ってしまってはおしまいよ!と受け止められかPhotoねない。そんな句である。実際、形容詞や副詞に類する語や抽象的な意味の名詞を使って、1句中に中身を効率的にたくさん盛り込もうとする試みは失敗することが多い。中学校の作文で教わったように、「美しい」という形容詞を使わないでその美しさをどのように表すかが勝負なのである。具体的なモノが喚起するイメージというものが、あらゆる形式の詩や、場合によれば散文においてさえも最も大切な要素なのだといわれる。そこをあえて「静かさ」と言って見ちゃったことになる。芭蕉の蛙の句の向こうを張ったわけではないが・・・。「この場合はいいでしょう」という気持ちがどこかにある。

自解はそこまで。「蛇苺」は、春には「蛇苺の花」として用い、夏には単に「蛇苺」としてその実がイメージされることになる。「蛇苺の花」だが、この花がとても美しい。それに比べれば、実の方は花よりも数が少なく、より地味な存在だが 、それだけに見つけた時には嬉しさが募る、「蛇」というネーミングに負けて、誰も「不気味なもの」という先入観を持たされているが、決して有毒ではない。味はほとんどないと覚えてきたが、「薄い甘酸っぱさがある」と主張する人もいるので、先日実際に口にしてみた。どちらとも言えるが、「味がない」という方が真実に近いと、強情にも自説を再確認した。ぜひ試してみていただきたい。

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2009年7月 1日 (水)

片陰り

  忘れゆく人の名前や片かげり  括弧

まあ、変な句だ。自句解005説をしても、読者は騙されているような気になるに違いない。私ぐらいの年齢の人の多くには、なんとなく抱いている不安というか、コンプレックスというか、・・・物忘れが激しくなったのではいかという漠然たる認識がある。そういう気分が、ある日片陰を拾っては踏んでいく私の頭をよぎる。片陰をたどるという行為は、決して生き生きとした生産的活動ではないから、その間の思いはどことなく退廃的なもの にならざるを得ないのである。そんな悲哀とさえ呼べない、何ということもない不満、不遇感。そのようなことをその場で書きつけたまでのことで、そこには文学的高みへいたろうとする意地も意欲も見られない、・・・とい言われてしまえばそのまま返す言葉もない。

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2009年6月29日 (月)

分かれ道

  富士見ゆる道のわかれめ時鳥  括弧

わが里では、梅雨入り前の初夏の候でもなければ、夏季に富士Pim0499山を見ることなどはまずあり得ない。だから、こういう場面に遭遇する確率は相当低いように思われる。この句は御殿場市での思い出を、現在に置き換えて詠んだもの。妻の実家は御殿場市にあるから、新婚のころは、季節にかかわらずでかけ、富士山の裾野に当たるあたりをよく歩いたものだ。基本的に涼しかった。御殿場に限らず、普通の 山登りでも、富士の見える山はずいぶん歩いたから、この句を見ながらふっと思い出す場面もある。古い写真を探し回ったが、なかなかこの句にぴったりという場面を撮影してはいないようなのであった。掲げたものは40年以上も前に御殿場で撮ったもの。

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2009年6月27日 (土)

夏草

  夏草の迫(せ)り出してゐる雨後の川  括弧

まだ梅雨に入る133前の景色である。よくある眺めだが、俳句として詠まれているかどうかはわからない。川といっても、このような眺めは小川というか用水堀りというか、人工の小流れにありがちなものであろう。利根川の縁にもこのような部分はあるかもしれないが、あるとしても中流域あたりまでであろう。

昨日の「枝蛙」の記事を読まれて、Sさんが最近撮った写真を送ってくださったので、紹介したい。よく見ると、 Photo かわいいものである。クリックして、原画のサイズでご覧ください。

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2009年6月26日 (金)

枝蛙(えだかわず)

  寝入らんと聞きゐる夜の枝蛙  括弧

枝蛙・・・、アマガエImg_1027ルのことだ。モリアオガエルなどのいわゆるアオガエル科のカエルはアマガエルとはだいぶ違う仲間とされるらしい。生態上も、アオガエルは樹上から産卵するが、アマガエル(枝蛙)はちゃんと水中に産卵するのだという。ここにおいて、私の子供時代に遡る疑問は、いまだに晴れていないのである。昔からわが家から1キロ未満内には、池や沼などはなかった。しいて言えばどぶ川というべき溝があったが、それを言うなら現代はそれさえ全くなくなり、上下水道も完成したから、道路の側溝に水が流れるのは大雨の後だけだ。アマガエルはどこで繁殖するのか。

鳴き声は、近年ますます猛烈だ。庭のうっそうたる雑草と樹木のどこかにとまって、雨が予想されるような湿気を感じるや否や、猛烈な声で鳴き出す。今では塀に囲まれているせいか、声がこもって家じゅうに響き渡る。時間にもお構いなしだ。正直うるさいと思う。

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2009年6月25日 (木)

チェーンソー

  チェーンソーの煙のにほひ梅雨に入る  括弧

家庭で使うチェーンソーであれば、ほぼ電動式であろう。昔ながらのガImg_1214ソリンエンジン式のものは、今ではほぼプロ用に限られるのではないかと想像している。尤も、チェーンソーなど触ったこともない私が言うことだから、当てにはならない。

気づいた時には既にエンジンの音が聞こえ出していたので、目をやると、今や懐かしいとさえ思える真っ青な煙が立ち上っていた。煙はたなびきつつ静かにその形を変えてっていている。大木を伐っているのであった。このようなエンジンから立ち上る煙というものを久しく見ていない。物心ついたころにチェーンソーというものがどのくらい普及していたものか知らないが、学校からの帰り道で時々目にした古木の伐採風景は忘れられない。10人からの大人が集まって大きな鋸を交代で使っていた。斧のようなもので切り口を作ってから鋸の出番となる。何時間かかったものか、帰宅が遅くなるのを気にしつつ、いつまでも見ていたものだ。だから木を伐る場面と言ってもガソリンの匂いなどとは何の関係もなかったのである。

ガソリン式が、順次電動式ににとってかわられつつあるとすれば、チェーンソーのエンジンを始動させた時の、あの拳銃の発射直後に立ち上る硝煙にも似た、煙の色も匂いも再び 失われてしまうのだろうか。

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