2009年11月 9日 (月)

懸崖

  懸崖をまづは見やうか菊祭り  括弧

恐縮だが、菊祭りに戻る。「懸崖づくり」というのImg_2255 は盆栽の形態の一つで、私がはるか昔、皐月躑躅に夢中になっていたころ覚えた用語で、植物の先が根よりも低い位置にまで垂れさがるように作り上げた盆栽のことである。菊花展をみるようになって、菊の懸崖作りというのも大したものだと知った。定番だから、今では新鮮さは感じないが、大輪の菊の栽培と同様、これも1日として手の抜けない大仕事の結果なのだと唸らされるのである。

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2009年11月 5日 (木)

秋雲

  秋雲の下に古刹の地蔵尊  括弧

ようやく天高き秋となったと思ったら、早くも晩秋であるImg_2226 。今年は特に気温が低めなので、「いよいよ冬が来るのだ」という感じが強い。このようなありふれた句の使い道も間もなくなくなってしまうだろう。鴻巣市屈巣の集落のはずれにある円通寺の景色である。

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2009年11月 3日 (火)

分かれ道

  懸巣鳴く踏み分け道の分かれ道  括弧

カケスはカラスImg_2271 に近い鳥だが、少し藍色が混じっている分だけカラスより華やかなのかもしれない。カラスのように会話を交わすかに鳴き分けて、集団行動を取るわけではないが、静かな林内で、「ジャー」というような濁った 大声を発するから、声に気づいたことのある方は多いと思う。何ともガサツな鳴き声だが、存在感はあると思う。

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2009年11月 2日 (月)

菊祭り

  野菜買ふことも忘れず菊祭り  括弧

市の菊祭りが10月3Img_2252 1日に始まった。願ってもない好天、なかなかの人出だった。毎年同じようなものが出品されているにすぎないといえばそうだが、見る度に心が浮き立つ。かつて皐月が流行った頃、若かったにもかかわらず、私もその栽培に少し心奪われた覚えがあるのだが、今考えてみると、季節のせいもあって、皐月展よりも菊花展の方が、行ってみて気分が晴れ晴れするようだ。

フリーマーケットに素人さんの店も出ていたが、他の露店はImg_2265すべて地元の商店のもので、店番をしている人たちの中には見知った顔もあった。菊祭りに限らないが、こういう集まりや道の駅等で、必ず覗いてみるのが地元の野菜を売っている店である。そいうところに出ている野菜の大 方は良質で割安なのである。

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2009年10月31日 (土)

倒木

  木漏れ日に旧りし倒木ゐのこづち  括弧

菖蒲町から久喜市へ向かう街道から南へ入ると、久喜・菖蒲工業Img_2249団地の中に整備された公園がある。ここは昭和沼を中心とした緑豊かな場 所になっているが、周囲には工業団地特有の雰囲気があって、トラックがすぐ外の道路を走っている。数年ぶりに訪れてみた。秋の日の中で、噴水が光り、沼を1周するマラソンン(何かの予選?)のようなものが行われていた。秋には水がよく光る。すでに枯れ芒、枯れ蘆の世界となっており、落葉も盛んだった。「黄落」というのだろうか。

このような手入れがが行き届いているはずの場所に倒木があるというのも珍しい。山林でも人どおりが多いところなら、たちまち片付けられているところだろう。ちょっとした深山を歩いているように取ってもらってもよい。倒木のある光景は、私にはかえって好もしく感じられた。

  

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2009年10月30日 (金)

秋日向

  あはあはと家畜のにほふ秋ひなた  括弧

ここのところ、年間を通して最も気持ちの良い日と呼びたいImg_2234ような毎日である。最も気持ちの良い日が複数あるというのも変な話だが・・・。

桶川市に圏央道の新しいインターチェンジ(だったかどうか。ここから乗れるようにはなれるらしいからICでよかろう)が出来るらしい。工事は佳境といったところだが、ここは城山公園への入り口に当たる。工事現場に設けられた臨時の通路を通って公園に入った。公園内の歩道から、外へ出られるところがある。狭い道を少し行くと、実によい雰囲気のところに出られる。このあたりはただの畑作地帯だが、何か懐かしい風景なのである。10基の馬頭観音が並んでいる。秋の日が降り注ぐ。近くに牧場があるので、幽かにその匂いがしている 。一種の悪臭だが、この景色になじみきっているように感じられて、嫌な気分にはならなかった。昨日の記事に取り上げた茶の花はこの近くに咲いていた。

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2009年10月29日 (木)

茶の花

  茶の花の路傍に一花咲きだせる  括弧

その昔、母の実家に疎Img_2237開していた頃、つまり戦争中から戦後にかけてということだが、その家を出ると、そのまま一面の畑であった。枳殻(からたち)が垣根となって畑の一角を囲っていた。今でも枳殻がそういう場所に植えてあるのは珍しいと思う。

その畑の屋敷に面したあたりでは茶の木が生垣となっていた。隣の家でも、茶の木は畑と道の境に植えてあった。畑と畑の境界としたところもあったのではないかと思う。もちろんこれらは自家用のお茶を作るためにも使われていたもので、一石二鳥の役割を担っていたのである。その花と実は子供の遊びの材料にもなった。茶の木は、農村に欠くことのできない植物なのであった。

今でも当時の株が残っているらしく、畑の隅に花を咲かせていることがあって、なかなかの風情を醸しだしている。冬の季語ではあるが、すでに開花した花が見られるのはご存じのとおりである。

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2009年10月28日 (水)

雲光る

  昨夜(よべ)の雨溜めたる刈田雲ひかる  括弧

凡句だが、句意そのままの写真が撮れたので掲載させていたImg_2218だいた。鴻巣市川里の屈巣付近の光景である。台風一過の澄んだ空気。風やや強し。数週間ぶりで来てみたら、一面の刈田となっていた。何しろ空の高さがこの季節をよくあらわしている 。刈田というより既に穭(ひつじ)田となっており、場所によっては穭に穂まで付いている。広々しているが、季節だけに寂しさがただよう。真冬の荒涼とした厳しさとはまた違った田んぼの風景である。

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2009年10月27日 (火)

セイタカアワダチソウ

  色ものといへば泡立草ばかり  括弧

セイタカアワダチソウについては何度か書いた覚えがImg_2096 ある。40年も前に関東地方に目だって進出してきたころには、野原も川原も威勢のよい大柄なこの植物の黄色で埋まったように記憶している。この勢いでは野山はこの花に完全に制覇されてしまいそうだという危機感を、実感としてもったものだ。自然界というものはうまくできているもので、次第に往時の勢いは衰えて、今や育ち損ねのようなみすぼらしい形のものばかりで、群落も切れ切れ状態になったようだ。自家中毒的な作用があって、繁殖に抑制がかかるらしい。

いまどきの原っぱ、この句のような状態である。草花は末枯れ状態に移行しつつあり、目立った花は、セイタカアワダチソウ以外見当たらないのである。「色もの」という語が浮かんで、そのまま使ったのだが、本来は着物の柄について言うテクニカルタームらしい。まあこのように使ってみるのも面白いのではないかと思うのだが・・・。

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2009年10月26日 (月)

同窓会

  時雨より同窓会へ入りゆけり  括弧

5年に1度中学校の同窓会が開かれる。昨日がそうであったImg_2084。卒業して50年もたってしまったが、5年に1度というペースが守られているのは、幹事団が結 成されていて日ごろの付き合いを欠かさないからだ、私はあまりマメにつきあってはこなかった方だが、退職を機に幹事団の旅行に参加させて貰ったりしているうちに、どうやら幹事団に編入されたようだ。今は個人的にちょっとした逆境にあるので、何の手伝いもできないまま、昨日を迎えてしまったが、一時的に外出欠乏症の境遇にあるせいか、次々と色々な友人たちと話しているうちに、実に爽快な気分になった。同級生の半数近くが市内に住んでいるので、彼らの多くにはどこかで時々出会うこともあるのだが、じっくり話せる機会は意外に少ない。あっという間に時間が尽きた。

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