葱坊主
葱坊主にほへる里の手鞠唄 括弧
昨年の句である。一
度くらいは思い出話の一端となって、このような情景がわが文章に現れたことがあるかも知れないが、こういう句となると何回か作っては、結局誰にも見せずに埋もれさせてきたと思う。毎年葱坊主が打ち揃うと、畑の葱は触りもしないのに強烈に臭う。今年もそれをつくづくと感じつつ農村散策を続けている。
わが原風景は、2歳半から3歳くらいの間に形成された。富山県の福野町(今は合併してその名はない)に50日(?)間住んでいたときの、雪の積っている道の様子、父母の里に疎開のため帰郷する途中の列車内の光景、そこに着いてからと思われる畑の黄色い、おそらくは花菜の色、そしてこの葱畑のシーンである。すべては戦時中の出来事であったはずだ。
雨上りの湿気でどうにも不快な昼時、空気は水蒸気のために透明さを失っていた。葱の花が咲いていて、強烈無比な臭い。カナブンがそこに群れていた。三歳になる直前の私の背は低かったはずだ。だから地面も葱の花も、今では想像できないほどの近さにせまって見えたはずだ。何を言ったのか、何を聞いたのか分からない。皮膚の受けた湿気と視覚の受けた景色、そして嗅覚の受けた強烈な葱の臭いが残る。そこに手鞠唄が聞えてきた なんてことはない。一種の下手な演出である。
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