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2008年11月30日 (日)

遅延列車

  

小春日の遅延列車の来たりけり  括弧

遅延列車ほど悩ましいモノも少ない。高校生となって列車通学が始ま003ってから退職するまで、遅延列車とは古い付き合いだ。ようやく縁が切れて、人生の辛苦のひとつから解放されたと思ったのもつかの間、旅行で空港へ向かうとき、最近では列車で句会に向かうときと、遅延列車にまつわる苦労は決して終ることがない。飛行機の予約がある時などは、万一のことがあってはと相当早い時間に羽田なり成田へ向かう。句会というのは遅刻すれば出句ができないのだからこれまた、有無を言わせぬプレッシャーが襲う。他人の句を預かっているときなど気が気ではない。高校生のときは、特別の場合を除き暢気なもので、当時は大宮で京浜東北線に乗り換えて北浦和まで通ったのだが、高崎線が遅れると大宮駅で遅延証明書というのをもらった。大勢がもらうわけだから、時間がかかり、ますます遅刻の度合いが進むという悪循環の繰り返しであった。人口は増える一方、列車の本数には限りがある、乗り口は一輌に2つだけという時代だった。冬場は着ぶくれで殺人的な混雑になるため、乗降に時間がかかった。ほぼ慢性的に5~20分は遅れていたと思う。それでも、むしろおおっぴらに遅刻できることが楽しいようでもあって、さほど苦にしていなかったのだから、本当の人生の苦難ということにはまだ気づいていない、よき時代だったのであろう。

この句のような駘蕩とした気分に浸れるのは、遅れようが遅れまいが、どうでもよいような場合に限るのであって、その回数は確かに退職する前よりはるかに増えた。

それにしても近頃の「人身事故」による遅延の増加には、苛立つと同時に、なんともいえぬ哀しさを覚える。どうにかなら ないものであろうか。

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