お元日
老いてなほ気の短くてお元日 括弧
昨年の正月に作った句である。「老いて」などとわざとらしく使ったのは、統計上「老人」とされる年齢に達したと知ったからだ。いわば一種の皮肉を込めているのだが、読者に分からなくても仕方がない。老いたことをあまり嬉しがってはいないことだけ
は分かってもらえるのではないだろうか。
気が短いのは幾つになっても直らない。普段は穏やかそうに見えるから余計にいけないらしい。5年に一度くらいは失敗しているが、最近は期間が短かくなった。
岸本尚毅さんの「俳句の力学」という本を面白く読んでいる。大雑把に纏めては作者に失礼かもしれないが、俳句には、歴史を経て実に中身の濃くなった 「季題」というものがあり、音楽の指揮者たちがマーラーの同一の曲をさまざまに奏でるように、俳人はこの「季題」をさまざまに料理して見せるのだという。 季題はこのように、音楽でいえば曲の題名に当たるほどの存在だということになる。季題をそのまま詠うこともあれば、他のものとの取り合わせによって一句を ものする場合もある。取り合わせにもリスクをとって高い効果を挙げようとするものと、類想の海に埋没する危険はあるが、一般には分かりやすいものとの2種類あ るとの説である。一読納得した。今日の句で言えば、「元日」という季語と「老いてなお気が短い」という事実との取り合わせということになるが、どちらかと 言えば後者の方の取り合わせということになるだろう。老いても気が短いひとなどいくらでも存在しそうだからである。
この本はまだ途中なのだが、例えが面白い。上で述べた取り合わせにおいて、季題が主役となる場合もあるが、むしろ刺身のツマみたいな位置を占める場 合も考えられる。レギュラーの寅さんが主役であるけれど、ゲストであるマドンナが中心をなす場合があってもおかしくはないのだというのである 。
言い忘れました。今年もよろしくお願いします。
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