サングラス
サングラス越しの世の中草ひかる 括弧
何という陳腐さ。日記の一部と御理解いただき、我慢して、ちらりと
お目通しをお願いします。「世の中」と言っているのが陳腐さの原因であろうが、世の中をいつもと違ったアングルで見ているという発想とは違う。そう取られてしまうところが力不足の所以だが、作者は野山を歩くしか能のない人だ。純粋な紫外線除けであるに過ぎない。近ごろ「これがいわゆるカスミ目だろうか」と思うことが多く、白内障になるのではないかという恐怖心がどこかにある。5年ほど前にあるカード会社のポイントで貰ったサングラスが車の中に置きっぱなしになっていたのを見つけ出し、ことに紫外線に満ちているという感じのする5月下旬のある日、試しに使ってみたものである。誰にも遭わないようにと願いつつ、行き帰りの車の運転中にも使った。気のせいか偶然出会ってしまっただれもが私を怪しんでいるように思えたのは、意識過剰というヤツのなせる技だろう。
若いころからサングラスは鬼門だった。当時は顔の造作そのものが今より良かったとかイケ面だったとかいういうことは一切なかったが、何といっても若さ特有の弱弱しさが漂ってはいたようで、そんな私が思いきってサングラスを掛けると、周囲の人々が一様に激しく反応した。目にあらわれる気の弱さが見えなくなると、本来の顔の形の持つ荒々しさだけが強調されるのであろう、「怖い」ということであった。野坂昭如が、常時サングラスをしているのは、そういう目にあらわれる気の弱さを隠すためだと言っていたように記憶するが、私の場合、もともとのかたちが形なので効果が出すぎてしまうようなのであった。こんな気持ちで掛け るくらいなら、いっそ成り行きに任せて、白内障の手術でもなんでも受けようじゃないかとも思う今日この頃なのである。
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