霜宿る
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甘からぬ思ひ出どつと落葉掻き 括弧
一人でやる作業が嫌いではない。気を使
いながら人と協調するよりはマイペースがよいのである。料理や屋内の清掃、また場合によれば洗濯などの場合、常に次の手順を考えており、したがって作業そのものに打ち込んだ状態になるから、それはそれで完結した満足感が得られるのである。一方落葉掻きや草取り、場合によっては雪掻きなど、ひとたび手順を決めてしまえば単純な動作だけで長時間をすごせるような仕事をしている場合、脳内は時ならぬ白昼夢に占められてしまうのである。そういう時浮かぶのは必ずしも嫌な思い出ばかりではないが、私の場合、子供時代に某教師から受けた理不尽な待遇のことを思い出し、思わず全身が怒りに満たされてしまうことがよくあった。さらにその教師が若くしてさっさと死んでしまったことも思い出して、気持ちが和らぐどころか、復讐する機会を永遠に閉じられてしまったことに対する慙愧の念がふつふつとわいてくるのであった。こうして見ると、落葉掻きに没頭している時間というもの、あまり健全なそれではないのかもしれない。
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ラジオより戦前の歌蕪汁 括弧
事情があって毎日の食事の準備をする。そこいらの主
婦よりは達者だと自負しているが、手の指にあかぎれが出来るのが難点だ。毎朝の味噌汁の具には大方困らない。ワカメと、あれば油揚げ、他はあまり物の野菜で足りる。時々、ナメコや大根や葱が大量に手に入ると、それらを中心に中身を考える。根深汁やら蕪汁などは、だから意図的な構想に基づくメニューなのである。菖蒲町に農協の売り場があって、これがなかなか充実している。農家の方が名前入りで出品しておられるのだが、何より安い。品数は限られてしまうので、その季節に採れないものは県外産を売っている。こちらはスーパーで買うのと変わりないわけだ。地元産のものは量も質も申し分ない。蕪などは大きなものが5・6個、みずみずしい葉っぱ付きで100円くらいで買える。形の不揃いなものだと、巨大なやつが10個ぐらいで80円だったりするから、思わず節約魂をゆすぶられる。蕪で高級な料理を作る腕はないが、味噌汁で食べると思いっきり柔らかくなる。漬物にも最適な食材だ。作る立場を知ると、食べる時の味わい方にも幅ができるようだ。
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薄き影濃き影冬の日の中に 括弧
影は人類の古くからの
友人だ。人間が影の存在に気づいて以来、すべてのものには影があった。文学作品にも、自らの影を失くした男の話がある。今話題の村上春樹の小説にも影のない世界を描いたものがあった。その世界に入るときには影は体から離されて、門番に取られてしまうのである。ことほどさように、人類は影というものを他人とは思いきれない不思議さにつきまとわれてきたのであろう。冬の日に生じる影は長く、そして淡い。淡い中にもさらなる濃淡があることは、自然のなかでしか気づかない事実だ。路面というキャンバスに描きだされるのは、2次元化された3次元の世界だ。遠いものは薄く、近いものは濃く描き出されるだけだと言ってしまえばそれまでだが。
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笹藪の北風の音立てにけり 括弧
暖冬だそうだ。実際に暮らしていると、寒い日もあたたか
い日もあって、その繰り返しの中で、次第に冬が深まっているのだと感じる。地球温暖化は、そのメカニズムが思ったほど単純ではないにしても、結果的には確実に進行しているのだろう。晴れていても寒い日というのは、冬型が強まって、北風が強い日だ。先日そのような天候の日があって、風があまりに冷たいので思わず空を見た。空にも寒そうな空というものがあることは、単にモノのたとえではないと知れる。
北風に限らず、風自体には音はない。建物や電柱、動植物、山・川、何より我々の耳たぶに当たることによって風は音を得るのである。だから「北風が鳴る」というのは科学的には正しくないと思う。ただ、理数に強い方々の中には見解を異にする向きがあるかもしれない。
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