文化・芸術

2009年12月25日 (金)

霜宿る

  うつすらと苔むす岩に霜宿る  括弧

八丁湖は、今年も冬に入004るや否や大工事期に突入した。湖底の大部分は干潟のようになっていて、餌がとらえやすいせいか、鴨のほかに青鷺などもそこでじっと食餌のチャンスを狙っている。眺めとしては、水がないのだから、どこか物足りず、残念至極と言わざるを得ない。初冬には紅葉が美しかった。ここを紅葉の名所と呼んでもよいほどだ。湖を囲む林は、これからすっきりとした寒林の様相を呈してくるところだ。湖を巡る遊歩道はなかなか変化に富んでいる。この句もそこで 昨冬出来たものであった。写真は現在のものではない。

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2009年12月23日 (水)

落葉掻き

  甘からぬ思ひ出どつと落葉掻き  括弧

一人でやる作業が嫌いではない。気を使Img_0180 いながら人と協調するよりはマイペースがよいのである。料理や屋内の清掃、また場合によれば洗濯などの場合、常に次の手順を考えており、したがって作業そのものに打ち込んだ状態になるから、それはそれで完結した満足感が得られるのである。一方落葉掻きや草取り、場合によっては雪掻きなど、ひとたび手順を決めてしまえば単純な動作だけで長時間をすごせるような仕事をしている場合、脳内は時ならぬ白昼夢に占められてしまうのである。そういう時浮かぶのは必ずしも嫌な思い出ばかりではないが、私の場合、子供時代に某教師から受けた理不尽な待遇のことを思い出し、思わず全身が怒りに満たされてしまうことがよくあった。さらにその教師が若くしてさっさと死んでしまったことも思い出して、気持ちが和らぐどころか、復讐する機会を永遠に閉じられてしまったことに対する慙愧の念がふつふつとわいてくるのであった。こうして見ると、落葉掻きに没頭している時間というもの、あまり健全なそれではないのかもしれない。

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2009年12月21日 (月)

蕪汁(かぶらじる)

  ラジオより戦前の歌蕪汁  括弧

事情があって毎日の食事の準備をする。そこいらの主022婦よりは達者だと自負しているが、手の指にあかぎれが出来るのが難点だ。毎朝の味噌汁の具には大方困らない。ワカメと、あれば油揚げ、他はあまり物の野菜で足りる。時々、ナメコや大根や葱が大量に手に入ると、それらを中心に中身を考える。根深汁やら蕪汁などは、だから意図的な構想に基づくメニューなのである。菖蒲町に農協の売り場があって、これがなかなか充実している。農家の方が名前入りで出品しておられるのだが、何より安い。品数は限られてしまうので、その季節に採れないものは県外産を売っている。こちらはスーパーで買うのと変わりないわけだ。地元産のものは量も質も申し分ない。蕪などは大きなものが5・6個、みずみずしい葉っぱ付きで100円くらいで買える。形の不揃いなものだと、巨大なやつが10個ぐらいで80円だったりするから、思わず節約魂をゆすぶられる。蕪で高級な料理を作る腕はないが、味噌汁で食べると思いっきり柔らかくなる。漬物にも最適な食材だ。作る立場を知ると、食べる時の味わい方にも幅ができるようだ。

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2009年12月20日 (日)

枯草

  枯草に穂の残りゐて揺れにけり  括弧

行田の古墳公園から元荒川を渡ったあたりを時々歩くImg_2483 。ここにある、今は白山神社となった、未調査の古墳については先日述べた。ここから田道を南へ歩く。何の変哲もない道端に枯草となった茅(チガヤ)があった。茅花と呼んだ花の部分も、実った後そのまま枯れた。果穂は絮状のままあくまで白い。北風がやや強い日だった。ジャンバーの襟を立てて歩いた。

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2009年12月19日 (土)

冬の雨

  朱印所としるべありけり冬の雨  括弧

坂東33観音霊場巡りを始めて来年の正月で丸1年Img_2504 になる。3分の2を踏破(?)した。東京では浅草寺だけが対象となる寺である。何度も行ったっことがある寺ながら、いまだに納経を済ませていなかった。この11日にようやく機会を得た。意気揚々と出かけるところだったが、当日はあいにくの冷たい雨となった。暖冬だといわれていた天候が急変して丁度寒くなり始めたころである。元来の意味からいえば「納経所」と呼ぶのが正確であろう。今では300円支払って、筆の文字とご朱印を頂くことで、納経に代えているのだから、納経所を「朱印所」と呼ぶところも多いのである。浅草寺もそうであった。

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2009年12月17日 (木)

  薄き影濃き影冬の日の中に  括弧

影は人類の古くからのImg_2533 友人だ。人間が影の存在に気づいて以来、すべてのものには影があった。文学作品にも、自らの影を失くした男の話がある。今話題の村上春樹の小説にも影のない世界を描いたものがあった。その世界に入るときには影は体から離されて、門番に取られてしまうのである。ことほどさように、人類は影というものを他人とは思いきれない不思議さにつきまとわれてきたのであろう。冬の日に生じる影は長く、そして淡い。淡い中にもさらなる濃淡があることは、自然のなかでしか気づかない事実だ。路面というキャンバスに描きだされるのは、2次元化された3次元の世界だ。遠いものは薄く、近いものは濃く描き出されるだけだと言ってしまえばそれまでだが。

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2009年12月15日 (火)

冬日和

  小流れに早瀬ありけり冬日和  括弧

わが里あたり、山はなく、広大な平野である。大きImg_2510 な川はおおむね中流域ということになろう。流れはまあ穏やかだ。「早瀬」などと呼んでいいものやら・・・。さいたま市につながる見沼代用水は、菖蒲町というところにある十六間堰と八間堰で星川を分ける。この星川沿いをよく歩く。小さな川だが、深さは均一でないから、所々浅いところでは流れが早くなって、障害物に当たっては白く泡立ったりしている。このような景は別に珍しくもないが、久しぶりの好天を楽しみながら歩いている身には余裕があるから、ふと目に止まりもするのである。

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2009年12月13日 (日)

木(こ)の葉

  一枝に木(こ)の葉小鳥のやうに揺れ  括弧

「きのは」と読むと季Img_2520節を問わない葉っぱ一般の意味になる。冬の季語としては「このは」と読むのである。まるでO・ヘンリーの世界だと言われそう。 一葉だけ激しく揺れる現象は、言ってみればいつでも起こるもので、その時々に不思議の感に打たれるのだが、これがほぼ裸木となった木の枝で起こると、一見枝先で小鳥がせわしく動いているように見えたりもするのである。加齢とともに目がかすんできたせいもあるにはあるが・・・。

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2009年12月11日 (金)

北風

  笹藪の北風の音立てにけり  括弧

暖冬だそうだ。実際に暮らしていると、寒い日もあたたかImg_2285 い日もあって、その繰り返しの中で、次第に冬が深まっているのだと感じる。地球温暖化は、そのメカニズムが思ったほど単純ではないにしても、結果的には確実に進行しているのだろう。晴れていても寒い日というのは、冬型が強まって、北風が強い日だ。先日そのような天候の日があって、風があまりに冷たいので思わず空を見た。空にも寒そうな空というものがあることは、単にモノのたとえではないと知れる。

北風に限らず、風自体には音はない。建物や電柱、動植物、山・川、何より我々の耳たぶに当たることによって風は音を得るのである。だから「北風が鳴る」というのは科学的には正しくないと思う。ただ、理数に強い方々の中には見解を異にする向きがあるかもしれない。

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2009年12月 9日 (水)

  磴に積む落葉を踏んで祠まで  括弧

前回からの続きものである。「祠」とImg_2482 呼んだが、小さいながら白山神社本殿である。どのように作られた円墳に、どのように木々が生え育ち、どのようにして神社ができ、どのように人々に愛される鎮守となったのか、想像する以外に知るすべはない。この地を訪れたのはおそらく4度目くらいだったが、参詣する人に出会ったことは一度もない。付近の田畑も含めて、ここで人の姿を見たこともない。このような神社にはよくあることだが、住民のための集会所が付設されているにもかかわらず、そこでの何らかの集まりに出くわしたこともない。ただただ静かなのである。

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